毒親と馬鹿親の違いについて
お元気ですか?「心のカウンセリングルームMei」です。
今日は毒親と馬鹿親の違いについて私なりにホザイテみたいと思います。
カウンセリングルームには子供に『毒親』と罵らせています、と言う方が来られたり、虐待を受けながら育った方がいらっしゃいます。
私はまず、『毒親』呼ばわりされている方に
「あなたは毒親ではありませんよ。」と、慰めます。
毒親に向かって『毒親』呼ばわりできる勇気ある人はほとんどいないでしょう。そんな人はすでに殺されていますからね。
日本でデモをするのと、北朝鮮でするのとの違いのようなものです。
また、毒親に育てられて自己肯定感の低い方に私はこんな話をします。
「ある日、気がつきました。母は猿の頭脳に人間の知能をテースップン1,2杯入れて掻き回したような者だと。
猿も困りますが、テースップン1,2杯の人間の脳が彼女を限りなく見栄張りにして、噓つきにしました。たまったものではありません。
あなたは猿に褒められたいと思いますか?
愛されたい!抱きしめられたいと、本当に思いますか?」
「はい。例え猿でもたった一人きりの実の母です。愛されたいです。」
と、答えた方は一人も居られませんでした。
猿に褒められてなんぼ?
それよりも猿の知恵に従って葛藤する自分のなんと滑稽な姿か?
馬鹿馬鹿しい限りだ!
猿の愛など本当に欲しいものなのか?そんな価値がどこにある?
と、息巻く私でありました。
「産んで貰ったことにだけは感謝しています。」
と、答える方もいます。私もそう思っていました。
感謝。感謝。感謝。
何処ぞの宗教団体でもあるまいし、本当に感謝できるのだろうか?
生きる苦しみは誕生とともに始まるのです。そして死ぬ苦しみも生きているからこそです。
(勿論、中絶して闇に葬るなどは言語道断。無責任極まりない仕打ちです。)
動物は本能で産んだ子供を育てます。けれど産んだ子供は人間です。
人間だけが人間を育てることができるのです。
完全な人間が存在しないのであれば、完全な父も母も存在しません。
子供は親から完全な人間としての幸せを学ぶ術はないのです。
自助努力で学ぶしかないのです。
ですから、本当に感謝できるのは成功した人か、幸福な人だけではないでしょうか?
そうなると、虐待された人にも大勢の成功者がいます。
つまり、親など関係ないのです。
最も、情愛のある親子にとっては『感謝』は当然でしょう。しかし、此処では論外です。否、情愛そのものが此処では論外です。
ところで、馬鹿親というのは子供の幸せを願っている人たちです。だから話し合いの余地があります。
ただ、馬鹿親の子供も馬鹿なので、なかなか上手くいかないのが現実です。
しかし、子供が試行錯誤を重ねて幸せになると、馬鹿親は喜びます。
親の願いは子供の幸せだからです。
毒親はそうはいきません。子供の幸せは認めません。
毒親は自分の思い道理でないと納得しないのです。
では、毒親の子供はどうなるのか?
最悪は死亡。大抵は心身ともに病弱。そして最良は、忍耐強い働き者(本人が幸せかどうかは別として…)。
馬鹿親の子供はどうなるのか?
新しい馬鹿者が増えるだけです。努力が必要ですね?勿論、親の努力ではなく子供の努力が必要です。
親のいかんにかかわらず、生きているものは必ず死にます。
死を背負って生きる人間の「生きる苦しみ、辛さ!」はどうやら
優れた感性を持った者ほど残酷で過酷なもののようです。何故なら、
「感じる」ことは痛みを伴うからです。
どうぞ一人で悩まないで駆け込んでください。
JR八王子駅南口3分。
『心のカウンセリングルームMei』です。
NEW
-
query_builder 2024/05/05
-
自殺について
query_builder 2023/11/07 -
「済みません。」を止めませんか?
query_builder 2023/06/04 -
毒親と馬鹿親の違いについて
query_builder 2023/03/15 -
不安との対決
query_builder 2022/10/30